1964.11 |
愛知県小牧市に広告代理店勤務の父、専業主婦の母、のもとに生まれる。 父は、美術好き。祖母は、歌舞伎好き。母は、パート先の慰安会で祖母 と、僕を妊娠中に御園座で歌舞伎を観劇とのこと。 |
1969. 2 |
幼稚園に入園。祖母と御園座で、先々代中村勘三郎の新書太閤記を観劇。 |
1969.10 |
御園座で、祖母と芝翫襲名を観劇。終電の関係で途中で帰るが、最後まで見たいと言い張り祖母を困らせる。 |
1971. 8 |
夏休みの宿題の絵日記に、御園座観劇を題材にする。 |
1976. 4 |
郷土研究クラブを立ちあげ、小牧の史跡、旧跡を調査する。 父とともに、美術館、博物館巡りをはじめる。 |
1982. 3 |
小牧高校卒業 |
1986. 3 |
愛知大学法経学部卒業 |
1986. 4 |
株式会社 御園座 入社。営業部配属。東三河、豊田地区担当。 三河地区の地歌舞伎保存会を勧誘、トヨタ自動車本社を担当。 海外からの訪日者のために、歌舞伎をPR. 高校、大学を歌舞伎勧誘。歌舞伎上演の劇場まわりをする。 |
1990. 7 |
営業部より制作部に移動。 はじめて、ニューヨークへ。ブロードウェイで、本場のミュージカルを堪能。あらためて、文化の違いと、日本文化のすばらしさを実感。 御園座歌舞伎プロデューサー村上武雄氏のアシスタントとして、歌舞伎セミナーに携わる。 |
1991.11 |
ロンドン、パリの劇場を視察。歌舞伎観劇人口の普及のため、以後、歌舞伎セミナーを12年間にわたり開催し、構成及び講師を務める。総開催数およそ100回、聴衆延べおよそ5,000人。 |
2006. 7 |
営業部に移動。制作部在籍中、御園座自主制作に携わる。 |
2013. 3 |
御園座 退社とともに、歌舞伎の楽しさを広く伝えていきたいという思いに駆られ、“歌舞伎の学校”設立を決意。 |
同月 |
御園座の退社を機会に、25年間お世話になった演劇界、特に、歌舞伎界の為に、歌舞伎の学校の設立構想を思い立つ。 |
2013. 8 |
歌舞伎の学校 設立準備室発足。 |
2013. 9 |
東濃歌舞伎保存会からお声をかけていただき、同会のプラハ訪問に同行。海外へ歌舞伎の発信していく意義を再認識する。 ※同会のブラハでの歌舞伎セミナー実施先 チェスキー・クルムロフ、ブラハ日本人学校、チェコ芸術アカデミー、チェコ日本文化センター |
2014. 3 |
歌舞伎の学校を開校。初代校長に就任。 |