歌舞伎の学校校長挨拶のページです。

校長紹介
校長挨拶
~手から零れ落ちそうな、「たった一つ」を思い出すきっかけづくりをしたいのです~
名古屋の老舗劇場において、およそ四半世紀にわたり劇場マンとして歌舞伎の公演に携わってまいりました。演目や歌舞伎の歴史を紹介するセミナーを通じて、日本の伝統芸能・文化である「歌舞伎」の素晴らしさを世界へ発信し、広めたい、後世へ継承したいという思いから、およそ1年間の準備期間を経て、平成26年3月に「歌舞伎の学校」本校第1号を設立することができました。
これもひとえに、私どもの思いに理解を示していただいた、各界著名人、文化人の皆様や、純粋に歌舞伎を愛するファンの皆々様から勇気とご支援をいただいた賜物と心より感謝申し上げます。

歌舞伎は、元来が大衆演劇であり、庶民の悲哀や喜びを代替する感情表現のひとつと捉えることができます。
高度経済成長により経済大国として確固たる地位を築きあげ、医療は進歩し、今や世界一の長寿国として名を馳せる国にまで成長を遂げたのは、ほかならぬ先人達の並々ならぬ努力があったであろうことは言うに及びません。その過程で、私たちをとりまく社会環境は、劇的に変貌を遂げました。
インターネットなどによる情報のスピード化など、便利で豊かになった反面、現実と乖離する情報のあまりに無防備な拡散、次から次へ現れてはきえる情報ツール、産業の都市集中型に伴う核家族化、孤独死など、深刻な社会問題は未だ解決の糸口が見出せないまま、その状況に慣れてしまっているようにさえ感じることがあります。

私、校長、立木常雄は、おそらくとても不器用な人間です。スピード感も、何かを特別に閃くような特別な能力を持ち合わせているわけではありません。ただ、子どもたちや、人々が、忘れかけそうな、よもやすれば手から零れ落ちそうな「たった一つ」を思い出すきっかけづくりをしたいのです。
ゆっくりと地味ではございますが、どうか、私どもの歩みを温かく見守ってくださりますよう、宜しくお願い申し上げて、ご挨拶とさせていただきます。
校長経歴
1964.11 愛知県小牧市に広告代理店勤務の父、専業主婦の母、のもとに生まれる。
父は、美術好き。祖母は、歌舞伎好き。母は、パート先の慰安会で祖母 と、僕を妊娠中に御園座で歌舞伎を観劇とのこと。
1969. 2 幼稚園に入園。祖母と御園座で、先々代中村勘三郎の新書太閤記を観劇。
1969.10 御園座で、祖母と芝翫襲名を観劇。終電の関係で途中で帰るが、最後まで見たいと言い張り祖母を困らせる。
1971. 8 夏休みの宿題の絵日記に、御園座観劇を題材にする。
1976. 4 郷土研究クラブを立ちあげ、小牧の史跡、旧跡を調査する。
父とともに、美術館、博物館巡りをはじめる。
1982. 3 小牧高校卒業
1986. 3 愛知大学法経学部卒業
1986. 4 株式会社 御園座 入社。営業部配属。東三河、豊田地区担当。
三河地区の地歌舞伎保存会を勧誘、トヨタ自動車本社を担当。
海外からの訪日者のために、歌舞伎をPR.
高校、大学を歌舞伎勧誘。歌舞伎上演の劇場まわりをする。
1990. 7 営業部より制作部に移動。
はじめて、ニューヨークへ。ブロードウェイで、本場のミュージカルを堪能。あらためて、文化の違いと、日本文化のすばらしさを実感。
御園座歌舞伎プロデューサー村上武雄氏のアシスタントとして、歌舞伎セミナーに携わる。
1991.11 ロンドン、パリの劇場を視察。歌舞伎観劇人口の普及のため、以後、歌舞伎セミナーを12年間にわたり開催し、構成及び講師を務める。総開催数およそ100回、聴衆延べおよそ5,000人。
2006. 7 営業部に移動。制作部在籍中、御園座自主制作に携わる。
2013. 3 御園座 退社とともに、歌舞伎の楽しさを広く伝えていきたいという思いに駆られ、“歌舞伎の学校”設立を決意。
同月 御園座の退社を機会に、25年間お世話になった演劇界、特に、歌舞伎界の為に、歌舞伎の学校の設立構想を思い立つ。
2013. 8 歌舞伎の学校 設立準備室発足。
2013. 9 東濃歌舞伎保存会からお声をかけていただき、同会のプラハ訪問に同行。海外へ歌舞伎の発信していく意義を再認識する。
※同会のブラハでの歌舞伎セミナー実施先 チェスキー・クルムロフ、ブラハ日本人学校、チェコ芸術アカデミー、チェコ日本文化センター
2014. 3 歌舞伎の学校を開校。初代校長に就任。